・本記事は 「Board Game Design Advent Calendar 2017」 20日目の記事です。
どうも、こんばんは。創作ボードゲームサークル「TDS」代表のナナツチです。
ボードゲームのデザインに関するテーマなら何を書いてもいいということですので、
今回は「なんのためにゲームをつくるのか、その目的と目標」というタイトルをつけた上で、
いい加減な話をいくらかさせて頂こうと思います。よろしくお付き合い頂ければ幸いです。
【なんのためにゲームをつくるのか】
さて、人はいったいなんのためにゲームをつくるのでしょうか。
もちろん答えは「人によって異なる」が正解で、ゲームをつくるそれぞれの人が持つ背景によって
ゲームをつくる理由・目的は異なります。
しかし逆説的に言うならば、ゲームをつくる理由・目的があるから人はゲームをつくるのだと考えられます。
ゲームをつくるには理由や目的があり、また理由や目的があるからゲームをつくろうと立ち上がるのです。
……なんだか当たり前のことしか言っていないような気がしますが、しかしゲームデザインにおいて最終的に
立ち返るべき点はここ、すなわち「なんのためにゲームをつくるのか」というところだと私は思います。
もうすでにゲームを作っていらっしゃる方には何をいまさらということになるでしょうが、しかし
これからゲームを作ろうという方には、ぜひここをしっかりと、そして明確に意識して頂きたいなあと
ぼんやり思う次第であります。
あなたは、なんのためにゲームをつくるのですか?
【目的と目標】
あんまりあやふやなことばっかり言うのも何なので、ここからはちょっと真面目な話。
ゲームをつくるときに、定めておくべきは「目的」と「目標」ではないかと愚考します。
「目的」とは前項でさんざん言った通り「なんのために」というところで、
「目標」とは「どこまで」を指すところです。
一つ具体例を出しますと、「より多くの人に楽しんでもらいたい」ということを目的とする場合、
目標とはそれをどこまで実現させるか、現実的なところを定めることになります。
例の場合なら、「より楽しんで遊んでもらえるよう事前にテストプレイをした10人がみんな納得するまで
ルールを作り込む」とか、「より多くの人に遊んでもらえるよう200部つくる」とか、「より多くの人に
手にとってもらえるよう作った分を全て売り切る」とかになります。
(さすがに実際はもっと細かくなるでしょうが)
目的はプリミティブな感情に似たところがあるのであやふやでも構いませんが、
目標は可能な限り具体的である必要があると考えます。
なぜなら達成できているかどうかのチェックに関わってくるからです。
【切っても切れない切ってはならない】
目的とは、前項でも述べたように基本的にはあやふやなものです。
創作の根幹に根差すはずの原点が、到達点の定まらないぼんやりしたものというのもなんだか不思議な
ものですが……
ともあれ、目的というものは達成しているとかいないとかそういう類のものではなく、
だからこそそれに沿った活動が行えているのかを評価する軸が必要になってきます。
短期であれ長期であれ、一定の間隔で活動を区切り、自らの目的に沿ったものであったかを評価するための
基準。それが目標と呼ばれるものだと、私は考えています。
目標とは評価基準であり、それゆえに具体的なものになります。
評価である以上、基準に達したか達していないかの判断が必ず為されます。
目的だけでは自身の活動を評価する基準がないためふわふわしてしまいますし、
目標だけでは数値だけを追い求めて目的を見失うことになってしまいます。
目的に沿った活動であったかを計るために目標が定められ、目標を達成することで目的が満たされる。
この二つは切っても切れないですし、切ってはならない関係にあるのです。
【納得なきゲームに後悔はつきない】
さて。目的を自覚すること、目標を定めること。これらはさして難しいことではありません。
しかし、これを維持し続けることは、想像以上に困難であると言わざるをえません。
(あるいは他の製作者諸氏は異なるのかもしれませんが…)
たとえばそれはゲームをつくる最中に直面する、自分自身とゲームとの間におこる葛藤や摩擦であったり。
あるいはそれはゲームをつくり終えた後に直面する、世間からの評価を受けての動揺や変遷であったり。
迷う余地も、迷わされる余地も、多種多様にありふれていて事あるごとに自分自身に問いかけてきます。
その結果として、目的や目標を投げ出してその時々の流れに身を任せるように、
あるいは自ら強引に時流を切り拓くように動き出すこともままあるでしょう。
人間は変わりやすく影響を受けやすい生き物ですので、ゲームをつくる目的が移り変わって最初とは
別物になることもあります。所変わればなんとやら、状況が変われば志がうつろってもおかしくは
ないでしょう。
適者生存といいますし、その時々でいろいろ変えていける方が柔軟に長く続けられるのかもしれません。
かくも悩みの尽きないゲーム創作の道でありますが、迷ったときの道しるべとして有効なのは、
やはり「なんのためにゲームをつくるのか」という原点に立ち返ることであると愚考いたします。
そこには正しい答えはありません。ゲームをつくる目的に沿って目標を設定し、
設定した目標を達成するようなゲームデザインを行ったところで、
それが悩みや迷いを根本的に解決してくれる訳ではないでしょう。
ただ、そうしてデザインされたゲームには納得が残ります。
これが自分の目的を満たすゲームであるという、そういう納得がそこにはあります。
なぜなら納得とは自分自身との間に交わされる一種の合意であり、
それは本来自分自身の深い部分にある気持ちに沿うことで為し得るべきものだからだと、私は思います。
「なんのためにゲームをつくるのか」に立ち返ることで、自分が求めているゲームの形を見つめ直して
ゆけば、少なくとも自分自身が納得のいく方向へゲームを持っていくことができるのではないでしょうか。
私の製作体験上の話で申し訳ないですが、納得のないゲームには常に数多の後悔がついて回りました。
納得と妥協は異なるということも知らなかったあの頃の私は、その妥協のツケを今でも背負い続けています。
自分自身を誤魔化すことはできても、その結果生まれた製作物まで偽ることはできません。
「なんのためにゲームをつくるのか」。創作の根幹に根差すこのテーマにだけは、
いつも誠実に居たいと願ってやみません。
【終わりに】
ふわふわとしている上に長ったらしい記事になりましたが、ここまでご覧いただきありがとうございました。
この記事は、すでに創作ゲームを作っていらっしゃる方や、これから作ろうとしていらっしゃる方に
「なんのためにゲームをつくるのか」をお聞きしてみたいなあと思いながら心の赴くままに書きました。
それ以外の部分はまあ、自身の体験からくる雑感をぼちぼちと……というところです。
至らぬ文章ではありますが、何かしら参考にでもなるところがあれば幸いです。 失礼いたしました。